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室町時代
京極導誉以降、資料で確認できるのは、次の通り。
京極高秀・・・応安五年(一三七二)頃
京極高詮・・・康暦元年(一三七九)頃
京極高秀・・・永徳三年(一三八三)〜明徳二年(一三九一)
京極高詮・・・明徳二年(一三九一)〜応永八年(一四〇一)
京極高光・・・応永八年(一四〇一)〜応永二〇年(一四一三)
京極持高・・・応永二〇年(一四一三)
京極持光・・・応永二九年(一四二二)〜永享十一年(一四三九)
京極高数・・・永享十一年(一四三九)〜嘉吉元年(一四四一)
京極持清・・・嘉吉元年(一四四一)〜文明二年(一四七〇)
京極孫童子丸・・・文明二年(一四七〇)〜文明三年(一四七一)
京極政経・・・文明三年(一四七二)〜文明五年(一四七四)
京極経秀・・・永正五年(一五〇八)

京極導誉の在任が確認できるのは、貞治四年(一三六五)までである。導誉は応安六年(一三七三)に没しているが、その前年の文書「山科家古文書」から、子の高秀が補任されたと考えられている(室町幕府守護制度の研究)。
高秀は康暦元年(一三七九)に、管領細川頼之の失脚を企てたため、将軍足利義満から追われ、守護職も解かれた。後任には子の高詮があたったとみられるが、永徳三年には高秀が復職している。
高秀没後、高詮は明徳の乱の功によって隠岐・出雲の守護にも補任され、この2ヶ国の守護職は飛騨国同様、経秀まで相伝されている。
これに加えて、導誉のときより、本家佐々木六角氏と並んで近江国半国あるいは一国の守護職も相伝されている。江北地方が京極氏の本拠であり、現在の滋賀県坂田郡伊吹町に在所する太平寺城・上平寺城が居城とされている。 また、京極氏は応永元年(一三九四)、高詮のときより侍所所司にも任じられ、幕府内でも重きをなす。
侍所所司は、山名氏・赤松氏・一色氏と京極氏の四氏が交替でその任につき、山城国守護も兼帯していた。京極氏の本拠が近江国であることも考え合わせると、飛騨国での守護職権の行使は、守護代があたっていたようである。
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