三木直頼
(?〜1553)
三木重頼の子、右兵衛尉・大和守

16世紀初め、阿多野郷甲領主東相模守その他阿多野蔵人・黒川越中守らを支配下に入れ、阿多野郷・馬瀬郷を支配し、桜洞城を築いたといわれる。
1531年3月に、姉小路氏の争いに干渉して、牛丸与十郎の志比野城を攻め落とす。
1539年秋に、三木新助に命じて郡上の畑佐氏を助け、翌年8月、土岐氏のため、三木新九郎を加茂郡へ出兵させ、野上等の3城を攻め落としている。
1544年秋、室町幕府は六角氏・浅倉氏・土岐氏らに命じて京極高秀を討った。そのため京極氏は滅び三木氏は主家を失ったが、すでに南飛騨で勢力を確立していた。