毛受家照
毛受像
毛受勝助は尾州春日井郡稲葉村(現、尾張旭市稲葉町)の人で、12歳のころより柴田勝家に仕えた。
元亀2年(1571年)伊勢長島の一向一揆の戦いに17歳で参加し、敵側に奪われた勝家の騎標を取り返した功により、勝家の2字を授かり勝助家照と称した。後に近習となり越前のうちで一万石を領した。 天正11年(1583)勝家と羽柴秀吉が激突した柳瀬の役・賤ヶ岳の合戦に従う。柴田勢の総崩れにより討ち死に覚悟の勝家を北の庄(現、福井市)に退かせ、主君の身代わりとなって、兄茂左衛門と共に4月21日悲壮な戦死を遂げた。享年29歳であった。 賤ヶ岳山麓余呉町の毛受兄弟の墓は、地元の史跡保存会によって、1世紀にわたって供養が営まれている。

名鉄瀬戸線尾張旭駅下車徒歩7分
  尾張旭市文化会館内